人生死ぬまでの暇つぶし

時間が足りていないオタクの日記です

鬼滅の刃ありがとう

※この記事は鬼滅の刃コミックス最新刊まで&吾峠呼世晴短編集のネタバレを含んだ気の狂った独り言です。

映画化&舞台化おめでとうございます!!

鬼滅の刃の映画化と舞台化が発表されましたね。とてもとても嬉しいニュース……!もちろん、鬼滅の刃という作品がすごく好きというのもあるんだけど、何より「吾峠呼世晴」という漫画家を個人的にとても応援しているのです。

吾峠先生が読切を発表されていた時期、私は運良くジャンプを定期購読していたのでリアルタイムで読切を読むことができました。最初の読切「過狩り狩り」の時から先生の才能はおかしかった(褒めてます)。あのダークな世界観と独特の台詞回しが妙に心に残って何回も読み返していました。今もなんだけど珠世さまの血鬼術の動作がマジで好きで。腕を爪でギーってやるやつなんですけど。あの動作を思いつくのがすごい。

今回の短編集には先生が今まで発表された読切4編が収録されているんだけど、その中で私が一番好きなのは「文殊史郎兄弟」です。兄弟の虫を使った能力も好きなんですが、なにより好きなのは父の仇討ちとして彼らに暗殺を依頼する女の子。普通の世界で生きていた子が自らの意思で「関わってはいけない人」に関わろうとする。その決死の覚悟と混ざり合う怯えの描写がすごい。

吾峠呼世晴先生の漫画はたくさんの魅力であふれているんですが、その中の一つが「死の周辺人物の心理描写」だと思ってます。大切な人の死によって、人はどう変わるのか。文殊史郎兄弟での女の子は父親を殺され、覚悟を決めて殺し屋兄弟に仇討ちを依頼する。けれどいざ暗殺が成功した時(父親を殺した犯人の死を知った時)、彼女の口から出てきた言葉は「あんたなんか死んでたって生きてたっていいからお父さんを返してよ……」なんですよ。恨みは晴らしたかった、だけど復讐は何も生まなかった。

ここから鬼滅の刃の話になります。この「復讐は何も生まない」というルールは鬼滅の刃においても適用されていると思ってます。肉親や大切な人を殺されて、血反吐を吐くような努力で己を鍛え上げ鬼を殺す。けれどいくら鬼を殺しても死んだ人は戻ってこない。過去には戻れない。それでも、自分の命をかけてまで刀を振るい続ける。

今までの読切作品と鬼滅の刃の違いは、「復讐の先」までを描いているかどうか。自分は過去には戻れない、ならどうするか。妹を人間に戻す、誰にも自分と同じような思いをさせない、友と姉からの思いを繋ぐ、ひたすら他人のために刀を振るう。そういったやるべきことを登場人物たちがきちんと見つけている。暗闇でも光を見出そうと足掻いている。その描写が本当に胸に刺さるんですよ。

結局どんなに辛いことがあっても世界は回り続けるし、生きている限りは精一杯やらなくちゃいけないことがあるんだよ、というメッセージが鬼滅の刃という作品の根底に流れている気がします。だから鬼滅の刃を読んでいると、自分も頑張らなきゃなあみたいな気持ちになる。でも世の中の不条理に泣きたくもなる。

本当にいい作品だと思います。リアルタイムで追える時代に生まれてよかった。舞台も映画も観にいきます。映画は正直鑑賞後に正気を保っていられる自信はないですが笑。煉獄さん……

これからもずっと鬼滅の刃と吾峠先生を応援してます!!とりあえずアニメは里編までやって、私の推しの鋼鐵塚さんの顔を地上波に流してくれ……。